先日、お隣に住む女性が訪ねてきました。
お互い顔は知っていて、会えば挨拶をする程度の関係です。
60代くらいの単身の女性で、お子さんは遠方で暮らしていると聞いたことがありました。
玄関を開けると、以前よりずっと細くなった姿がありました。
「大きな病気をしてしまって、長くは生きられないの。今、体調が悪くてゴミを捨てに行けないから、お願いしてもいいかしら」
もちろん、すぐに預かりました。
半年前、エレベーターでお会いした時には元気そうだったのに。
体力が落ちて、少し前にはゴミを捨てに行った際に倒れてしまったそうです。
その話を聞いて、胸の奥がギュッとなりました。
病気そのものへの怖さももちろんあるのですが、それとは少し違う感情でした。
ひとりで暮らすということの現実を、突然目の前で見たような気がしたんです。
元気な時には、一人でできることばかりです。
ご飯を作る。
買い物へ行く。
病院へ行く。
ゴミを捨てる。
そんな当たり前の日常も、体調を崩した途端に一人では難しくなることがある。
これは、女性同士の恋愛や生き方を長く見てきた私にとっても、他人事ではないなと思いました。
今は、女性同士のカップルが子供さんを迎える方もいるようですが。
一方で、子供を持たずに二人で生きていく人もいるし、生涯一人で暮らしていく人もいる。
どれが正解という話ではありません。
私自身も、子供を持たない人生を選んできました。
だからこそ、年齢を重ねた先に、
「自分が一人ではできなくなった時、誰に頼るんだろう」
ということは、どこかで考えておかなければいけないんだろうなと思います。
それは、お金だけでは解決できないこともある。
ゴミを捨ててもらう。
ちょっとした買い物を頼む。
何日か姿を見なければ気にかけてもらう。
そんな日常の小さなことほど、案外大切なのかもしれません。
そしてこれは、「子供がいれば安心」という単純な話でもないんですよね。
お隣さんにもお子さんはいらっしゃいます。
ただ、遠方で暮らしている。
家族がいても、すぐそばにいるとは限らない。
だから最近思うんです。
これからの私たちに必要なのは、
家族がいる、いない、だけではなく、
困った時に「ちょっとお願い」と言える人が、自分の暮らしの中にいることなのかもしれないなぁと。
恋人でもいい。
友達でもいい。
ご近所さんでもいい。
血縁や制度だけではない、緩やかなつながり。
若い頃の恋愛では、「好き」という気持ちが一番大きかったけれど、
年齢を重ねていくと、
例えば病院へ付き添える間柄だったり、
体調の悪い日に買い物をしてきてくれることだったり、
何でもない日に「大丈夫?」と言い合えることだったり。
そういうものが、人生の中でとても大きな意味を持つようになるのかもしれません。
家族を持たない生き方も、
一人で生きることも、
私は決して寂しい人生だとは思いません。
ただ、元気な今には見えにくい現実がある。
お隣さんのゴミ袋を持ってエレベーターを降りながら、
そんなことを考えた出来事でした。
単に悲観的になることよりも、なにかLashikUが今後カタチにできたらいいなと感じています。
ちょうどいい距離感の、安心できる場所を。




















